大人への階段登る学生時代(波乱万丈編)の詳細

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ジッパー

僕の学生時代は、ユニークなポジティブ(成功)体験とネガティブ(挫折・失敗)体験でいっぱいです。

小学生時代

子供イメージ

小学生時代は友人や先生にも恵まれ、順風満帆だったので、割愛しますね。

つーちゃん、元気かな~

中学生時代

火と水

中学1年生の時に、他の少学校出身で腕力でのし上がろうとしていた同級生から、その当時、私は身長が高くヒョロヒョロで真面目な生徒だったので、強そうに見えなかったこともあり、ふざけあいから理不尽にも不意打ちで、視界外から強烈な右フックを喰らい、50センチ位吹き飛ばされました。

当時の僕は、正直に真面目に生き、勉学こそが最も力を入れるべき大切なことで、人生の中心に据えるのが当たり前と考えていました。

真面目では無い人を軽蔑し、卑怯者が大嫌いで、正義感も人一倍あったことから、いじめっ子をみると憎しみさえ覚えたくらいです。

そんな僕が不意打ちの強烈なフック一撃で、一瞬とはいえ意識が飛び、みるみる顎が腫れ上がるという衝撃の出来事がクラスのほぼ、ど真ん中で起こったのです。(失敗体験)

大丈夫?と真っ先に駆け寄って綺麗なハンカチを渡してくれたのは、それまであまり喋ったことがなくクラスでも目立たない女子生徒でした。

それとは反対に、男子生徒は徐々に後退していきましたね。机をなぎ倒して吹き飛び、なかなか立たない僕を見て、ことの重大さに気付いたのか、当の殴った本人が「大丈夫か?」と声を掛けながら、手を差し伸べてきましたが、自分は何も悪い事していないのに殴られたという衝撃的な出来事に、手を払い除けながら「うるせえよ」と反射的に返答していました。

顔も腫れてきて気持ち悪くなったので、「気持ち悪いから早退する」と女子生徒に担任の先生へ伝言をお願いして早退しました。

担任はおろか、他の教師も誰一人駆けつけなかったことも衝撃でしたね。結局、教師も暴力が怖いんだ。自分の身を守るのに精一杯なんだ。

大人(教師)の本音と建前というか、大人の世界を垣間見た感じがしました。

当時の中学校は荒れに荒れていて、先生が生徒に殴られるなんてのは日常茶飯事で、一般的な普通の生徒は、トイレに行くのにもタバコを吸った不良たちがいない時を見計らって行っていたくらいでしたし、卒業式には警察が来ていましたね。

ちなみに、後から分かったのですが、その同級生は小学生時代からボクシングジムに通っていたらしく、中学3年時には旧番長を倒して新番長になりました。

衝撃的な出来事から時は過ぎ、中学3年生になって旧番長と同じクラスになり、出席番号も近いこともあって、真面目な生徒と旧番長という関係から表面上は友達になれませんでしたが、なぜか馬が合い心が通じ合っていました。

当たり前ですが、いわゆる不良とよばれる彼らも、家庭事情やいろいろな理由から不良になったのです。

旧番長は意外と心が温かい奴で、根は真面目、義理人情に厚く、寂しがり屋だったが、うまく口で伝えることが苦手、そんな彼でした。

中学3年中頃、旧番長は新番長に破れてから、めっきり学校に来なくなり、卒業旅行も参加しませんでした。

慕っていた旧番長の子分たちも離れていって、新番長のグループに加わるのをみて、社会の縮図をみた感じでした。

兎に角、どんなに勉強しても、力がなければ自分の気持を捻じ曲げないと生きていけないのかと、今までの考えを根本から覆す程の、強烈なカルチャーショックを受けました。

それからというもの、今まで全く遠い世界の格闘技でしたが、強くならなければという強い思いにかられ、友達と色々な格闘技に関する本や雑誌を読んだりと、強くなるためにはどうすればよいか、あらゆる可能性を模索しました。

高校時代

マーシャルアーツ

あっという間に卒業式を迎え、仲良かった友人たちと別々の高校に通うことになり、少林寺拳法を学び始めた友達もいましたが、ある日、自宅の食卓にあった市報をみたら、新たに空手道場を開くため生徒募集の文字が、飛び込んできました。

なんと月謝は500円!これだ!と思ったら、行動も早かった。高校入学したての4月だったのですが、少林寺を習いだした友人とは別の友達を半強引に誘い、栄えある空手道場の一番弟子と二番弟子の座を、友人と共に得ました。

一週間に二回の修行(一回2時間)でしたが、強くなりたい一心で我武者羅に修行しました。けっして大げさじゃなく、一日中、空手のことばかり考えていました。

こうきたらこうするとか、ありとあらゆる色々な場面を想定して、シュミレーションするんですね。

入門して約1年半がたった頃、習っていた流派の県大会が開催され、指導者クラスの黒帯抜きの大会でしたが、師匠や道場生仲間のおかげで、初出場ながら個人組手の部では敢闘賞を頂き、また団体戦では所属道場の看板を背負う覚悟と先生の教えの正しさを証明するつもりで、最後の砦でもある大将を務める大役を経験させて頂きました。(成功体験)

団体戦大将の戦績も三戦全勝するほど、師匠にはマンツーマンに近い形で徹底的に鍛えて頂き感謝しております。

やがて高校三年生になり、師匠の心遣いから、「大学受験するなら勉強に専念しろ、そして絶対に合格しろよ」とおっしゃてくださり、その頃には15人近くなっていた道場生全員で、僕のために激励会を開いて頂き、とても感激し感動したのを今でも鮮明に覚えています。

大学時代

黒帯

それから一年後、大学も無事合格し、さあ、大学生活をエンジョイするぞと考えていたら、これからお世話になる下宿に、空手部主将の四年生先輩が入居しておりました。

その下宿で新入生歓迎会を開いて頂いた時に、「高校時代はスポーツか何かやっていたか?」と聞かれ、正直に「空手をやっていました」と答えたら、「選択権を与える。空手部か応援団どっちがいい?」と問われました。

空手部に誘われるのは理解できるが、何故、応援団?と思っていたら、空手部主将の先輩と、応援団の主将が仲が良く友人だからだそうで、新入生部員を毎年15人以上集めるのが、空手部伝統のノルマだから入部してくれと、角刈りの先輩から笑顔で頼まれたことをきっかけに、当時は泣く子も黙るという大学空手部に入部しました。

こうしてみると、空手との縁を感じざるを得ません。私の祖父(父方)は、空手道場を営んでいて近所の人々の接骨なども診ていたことや、祖母(母方)が合気道の師範だったことも、武道との縁も感じます。

大学空手部に入部して間もなく、新入生のみによるトーナメント大会が、一年生新入部員16人で催されました。

沖縄出身から北海道出身まで全国から集まった色々な空手流派出身者もいる面々でしたが、準優勝するほど成長できました。(成功体験)

社会人へ

空手練習

やがて大学を卒業後、地元に戻り専攻学部関連部門のある大手企業に就職しましたが、同期中でも群を抜いて残業時間の多い部門でした。

連日のように、会社で先輩の仕事を手伝いなら、一番遅くまで残業していたある日の深夜、衝撃的な言葉を聞きました。

「数年後には所属する部門がなくなる」というのです。(失敗体験)

なにかと目をかけてくれていた先輩から聞かされ、その先輩は前から役所の技術部門の方から声がかかっているので、「数年後には転職する」と心の内を聞きました。

『仕事は会社のためにすると考えるな。自分自身のためにすれば良いんだ。それが会社のためにもなるんだ。』と深夜の25時を過ぎた頃、一服しながら、仕事に対する心構えを教えてくれたりもしました。

「たまには定時で帰れ」と上司から気遣いのお言葉をもらい、大学時代も夏休みとか地元に帰省した時に顔を出していましたが、就職してから初の、久々に師匠のいる空手道場に顔を出しにいきました。

道場の練習もおわり、帰り支度をしながら師匠の口から思いがけない言葉を頂きました。

「道場の跡を継ぐ気はないか。」

思ってもみない、あまりにも唐突な、もったいないお言葉・・。(成功体験)

言葉の意味を理解するのに時間がかかり、ふたりの間に静粛が漂う。

まさか、自分がそんな大役、場違いだと想う反面、大学生時代に一時でもプロの格闘家になることを考えた時期もある僕にとっては、この上なくもったいないお言葉でした。

わたしは、慎重に言葉を選び返答しました。

僕 :「先生、お誘いをいただき、本当にうれしいです。」

「でも、今勤めている会社、残業が多くて・・・。」

先生:「そうか・・・、なかなか無いよな。本格的に空手を極めるのに適した仕事って。」

「私も若い頃、〇〇◯※に入ろうと考えたことがあったんだ。」
※当流派の実戦部隊(僅かなお米をもち無人島で1年間過ごすという過酷な修行がある)

「でも、色々と現実的に家族のことを考えたりして諦めたよ」

「少しでも好きな空手を続けられるようにと、定時で帰りやすい公務員になったんだ。」

「この仕事も好きでやってる訳ではないんだよ。」

「なかなか無いもんだよな、空手に専念できるような、適した仕事って。」

遠くを見つめながら、若い頃を懐かしむように、本心を話してくださいました。(失敗体験)

それから、お世話になりっぱなしの空手道に恩返しがしたいと、強く思うようになりました。

私なりに、空手の道を極めたい人や、他の武道の道を追求したい人、格闘家を目指している人に適した仕事はなんだろうかと、自問自答の日々が始まりました。

その頃は、WEB関連も普及していませんでしたから、武道を追求しつつできる仕事の情報を得ようと思っても、自分の周りを見渡すか、実際に色々な人と会い話してヒントを得るか、雑誌など本を読むなどアナログ的な方法しか無い訳です。

出会いを求め、ひとりサウナに行った時に出会った社長さんに、そういうことなら損害保険代理店研修生をやってみると良いんじゃないかと、アドバイスしてくれました。

働いていた大手企業を退職し、独立を目指して、大手損害保険代理店研修生になりました。

社会人編へ 続きはこちら(MrTeraのプロフィールへ)

素敵!

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